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塩の交わり

青苧復活夢見隊:2013/07/11

月山和紙の三浦さん、芸工大の大山先生、夢見隊から村上代表、渡辺隊長以下4名が参加して上越市のNPO法人「越後青苧の会」を訪ねてきました。

新潟は南北に長いので高速道路を走っても上越まではかなりの距離です。

道路の左右に延々と広がる田園に触発されたか、お昼はコシヒカリラーメンを食べる隊員もいました。

ちなみに私は敵に塩を送った謙信公に敬意を表し、ホワイト焼きそばなる塩焼きそばを頼みましたが、ちょっと味が濃かったかな。

 

お話は越後青苧の会の近藤理事長のお宅で伺いました。

この日はぐんぐん気温も上がり、扇風機二台が至近距離でフル回転でもじんわり汗がにじんでくるくらいです。

そんな中、卓を囲む面々の熱気も相当なものだったのでしょうか、扇風機にも流されない熱さで2時間を迎えようかという頃には私は少しぼーっとしかけました。

 

理事長のお話では、越後青苧の会も我々も似たような軌跡を辿っているとのことで、ぜひいろいろと協力し合いましょうということに落ち着きました。

お互いに敵ではないものの、塩を送りあうという格好になるのでしょうか。

 

聞けば、上越は来年高田開府400年を迎えるそうですが、その高田城主、徳川家康の六男、松平忠輝の治世にはあらゆる産業で組合を作って独占し、お上の言うこと以外のことを禁止したために、今でも新しいことをやろうとする気質がないと嘆いておられました。

また、上杉公が越後から移封された時に、青苧関係の職人をみな連れて行ったことは以前のブログでも書きましたが、それは単に移封先で新たに青苧産業を興すという目的の他に、青苧のライバルとなる町を残さないためでもあったそうです。

今では考えられないような人の移動があった時代、生き死にが切実でもあった時代です。

当時の人の思惑は我々の知らないところで今も生きていますね。

 

帰りは日帰りの強行軍にも拘らず、思いがけず春日山城址まで足を伸ばすことが出来ました。

城は跡となりましたが、この地に住んだ人の思いはいろいろな形を取って城よりもなお堅固。

歴史を感じた一日でした。

 

それにしても、行きも帰りも運転して下さった大山先生、安全快適なドライブどうもありがとうございました。

近藤理事長お手製の青苧和紙ランプシェードも紹介しておきます。

 

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