お知らせ

年末を過ごす

青苧復活夢見隊:2013/12/25

年の瀬も押し迫って参りました。

年の瀬、年の瀬とよく言いますが、この瀬ってなんのことかなと思って調べてみたら、川の浅い箇所、流れの速い所のことで、船で越えるのが困難な場所を指しているとのことです。

昔は日用品などもつけで買うことが多く、年末にまとめて払うということがごく普通でした。

ところがたまった支払いというのはしんどい。

その支払いの困難さを川の瀬を越えることになぞらえて使うようになったようです。

 

私もつけというわけではありませんが、大した稼ぎもないこの時期に借りてる畑の年貢だの少したまっていたものやらを払っていくと懐がスースーしてきます。

そう思って、年の瀬という言葉を改めて思い浮かべてみると、年の暮れや年末などという言い方よりもよっぽど切羽詰まった感が出てくるじゃありませんか。

年を越えるのは単に時間が一日過ぎていくだけではないのです。

聞けば、訴訟では争いごとを新年にまで持ち越したくなくという心理から、年末に決着するケースも多々あるそうです。

こちらは年をまたぐことが支払いとは違った形で影響を及ぼしているケースですね。

どちらも新年を前にきれいさっぱりしたい気持ちは変わらないようです。

キリスト教国の人は新年よりもクリスマスの方が大事だそうですが、日本人にとっては良いにつけ悪いにつけ年の瀬は逃れることが出来ません。

 

そんな中、我が夢見隊も収穫祭という名の忘年会を行ないました。

この日はご苦労ぶりということもあり、各自の支払いもなく、悠々と酒肴を楽しみました。

お金や義理や血筋でつながっているのでもない、20代から80代のメンバーが労をねぎらい合い、酒を注ぎ合うというのはなかなかないことだと思います。

清助爺などは酒の勢いか、アカペラで朗々と美声を披露してくれました。

その余勢を駆って、最後はみんなで「ふるさと」の合唱です。

カラオケに慣れた世代にとっては、歌詞を見るまでもなくみんなで同じ歌を歌うというのはなかなか新鮮で嬉しいものです。

 

ところで、お隣韓国では忘年会のことを送年会というそうです。

「年を忘れる」という表現がネガティブに感じられるとのこと。

人を送る送別会を忘別会と言ってしまっては、角がありすぎますが、年の場合は忘れるくらいの方がきれいさっぱりして新年を迎えられそうな気がします。

別に私も今年が忘れたいほどの年だったわけではなく、来年のために本当にいいステップとなる年だったなあと思っているところですが、良い年を過ごしたという意味では送年という捉え方も悪くありません。

 

いろいろな年の瀬があると思いますが、年末を迎えられたことに感謝し、新しい一年を迎えたいものですね。

ポール・マッカートニー!!

青苧復活夢見隊:2013/11/21

11月18日、行ってきました東京ドーム!

会ってきましたポール・マッカートニー!!

 

なんと今年で71歳!

でもそんな年齢など忘れてしまうような、いや、年齢を意識すればするほど驚きと尊敬を禁じえない若々しさ。

あんなに格好いい71歳になれるものでしょうか。

71歳での東京ドーム公演はこれまでの最年長記録を上回ったそうで、私などは親子ほど年の離れた存在ですが、かろうじて同じ時代の空気を吸えたことに感謝。

そしてコンサートという同じ空間を共有できたことに感激です。

 

ジョンとビートルズで共存したことは「ベートーヴェンとモーツァルトが同じグループにいたようなもの」とも形容される、言わずと知れた20世紀最高のメロディメーカー。

「オール・マイ・ラヴィング」

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

「レット・イット・ビー」

「ヘイ・ジュード」

「イエスタディ」

ビートルズ、ウイングス、ソロとデビュー以来50年以上の歴史の中で生み出されてきた名曲の数々が、玉手箱を飛び出すように惜しげもなく披露されていきます。

今は亡きリンダ、ジョン、ジョージのためにも一曲ずつ捧げてくれました。

ジョージのために歌ったのは「サムシング」!

 

体全体でリズムを取りながら、力いっぱいの拍手を送り、共に歌い、ポールを凝視し続けた3時間。

時折見せる、何気ないしぐさもかっこいい!

高揚のあまり、途中で少し具合が悪くなりかけました。

コンサート会場で倒れる女の子の気持ちが初めて分かりました。

アンコールはなんと6曲を披露!

最後はもちろん「ゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンド 」と続くメドレーで締めました。

71歳になったとは到底思えない超圧巻のステージでした。

 

日本公演直前に発売になったニューアルバム『NEW』からは4曲を歌ってくれました。

「NEW」を聴いて思わず涙を流してしまったのですが、その歌詞の中で「選んだ道を生きられる。何の保証もない、失うものなど何もない」と歌っています。

世界のスーパースター、ポールでも、若い頃はドサ回りのようなステージをこなして、それこそ何の保証もない世界で現在の地位を築きました。

思えば成功した人はみんな保証など考えずにきたのでしょうね。

 

ポールの曲は明るくて、楽しくて、やさしくて、暖かい。

いつか夜なべのことを書きましたが、今度の夜なべの時はきっと『NEW』がそのお供をしてくれることでしょう。

 

誰もがこれが最後の日本公演と思っている中でポールが最後に発してくれたのは「マタ アイマショウ」の一言。

ポールが元気でい続けてくれる限り、いつまでも夢の続きとして私の耳に残ることでしょう。

どうかポールいつまでもお元気で!

 

おしんから中学生へ

青苧復活夢見隊:2013/11/07

卒業以来、20数年ぶりに中学校の校舎に入りました。

今日は大江中学校の一年生に青苧の出張授業です。

 

同じ中学生といえども、一年生と三年生ではかなり成長の幅があります。

三年生が高校への一歩手前とすれば、失礼ながら一年生はまだ小学校の延長のような感じでしょうか。

まだまだ幼さの残る顔やしぐさに可愛らしさを感じつつ、青苧を使ったストラップ作りを一緒に楽しむことが出来ました。

 

普段の生活の中で中学生自体は見慣れているものの、実際に教室に入って生徒さんたちの中に混じると、中学生時代の様々な記憶が当時の空気ごと脳裏に甦りました。

教室内の掲示物や机、窓から見るグラウンドなどを眺めていると自分にもこういう時があったのだ、20数年を経ても昔も今もそんなに変わるものじゃないなあという思いがしました。

ひもの結び方もすぐに覚えてしまう子もいれば、なかなかコツが掴めないけれど根気強く取り組んでやっと出来る子もいます。

やり方を教えながら、うまくいかなかったことが出来た時のぱっと開けた一瞬はお互いに嬉しいものです。

 

さて、先月から毎晩のように見続けているおしんは230話を突破しました。

おしんも小林綾子から田中裕子、乙羽信子に変わり、物語は戦後の生活を描き出す部分に入ってきました。

日本の激動期の社会情勢や様々な運命に翻弄されながら、一瞬一瞬を必死に生きている登場人物たちを見ていると、深夜に一人で号泣することもしばしばです。

一般的にほとんどの人たちは社会に顕彰されるような業績や記録を持たないで一生を終えるかもしれません。

でも、おしんを見ているとそんな名もない人たちの人生全てが、それぞれ大事な一生、かけがえのない一瞬の連続なのだと分かります。

 

私も中学卒業以来、特に何かを成し遂げて来てはいません。

振り返ってみてああすればよかったと思わないことがないでもないし、もっと頑張れたんじゃないかと思うことも沢山あります。

でもそんな平凡な人生の中でも、やはり後で振り返ってみれば、その時々の一瞬が二度とやって来ない大切な時間だったと気付かされます。

 

おしんを見出してから、なんだか急に老成したような気分です。

中学生にはまだまだこれからの人生が長いわけですが、もっと後になって振り返ってみた時にあんなに大事な時はなかったんだと思い出せるページをたくさん持って欲しいと思います。

いろいろなことにチャレンジして、その場面場面を自分の心の貯金箱に入れておいて欲しい。

 

今日のストラップ作りがもしもそんなあなたたちの人生のひとかけらになれたとしたら、それは私たち隊員にとっても素晴らしいことであるのです。

 

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